能舞台移設事業 趣意書
伝統芸能継承の一端にいたしたく、皆さまのご協力を要請するものです。
武田信玄の猿楽師大蔵次部太夫の末子として生まれた長安は、能役者でもあったため、能に対する
理解は相当のものであったといわれます。
慶長十年(1605)八月、長安は社殿・拝殿を寄進し、鹿伏村に春日神社を健立しました。元和
五年(1619)現在の下戸村に遷宮し、正保二年(1645)下戸町の加賀六左衛門の寄進により、
春日神社に佐渡で最初の能舞台が建てられ、神事能が行われるようになりました。
召し連れてきた二人の能楽師は、当地に土着しその末裔たちが受け継ぎ、春日神社から佐渡の演能
の歴史が歩み出しました。
佐渡の能が神事能として始まったことは、現在の能舞台のほとんどが神社拝殿と舞台を兼用してい
ることから察しられます。
初めは、武士の教養として演能され、演ずるは奉行所の役人でしたが元禄以降庶民にも能が盛んに
なり、村々では鎮守様の祭りの場へと広がっていきました。
農家の人々が畑仕事に謡を口ずさむ日常は、大町桂月が「鶯や十村の能舞台」と詠んだ句そのもの
の風景といえ、「おらが舞台」として小さな集落にも能舞台が造られ守られてきました。
かつては島内に二百もあった能舞台は、現在三十二となってしまい、春日神社の能舞台も、明治の
初頭には消滅してしまいました。
武家のものであり格調高い芸能とされていた能が、佐渡では庶民の演ずる能となり、長い歴史のな
かで子々孫々、質の高い伝統芸能として継承してきたことは佐渡人の活力であり、今なお「能の島」
として名高いことは佐渡ヶ島の誇りであります。
その発祥地である春日神社に能舞台を造る取り組みは、皆様のご協力により完成いたしました。
が、寄付が目標額にたっしておらず、また当初予想を上回る建設費が必要となり、寄付活動を継続す
ることとなりました。
この事情をご理解いただき、ご協力くださるようお願いいたします。
春日神社能舞台移設実行委員会
会長 川内 節次